冷戦終結後 2013 10 26

 アメリカ対ソ連という冷戦が、
ソ連の崩壊によって、終結すると、
西側諸国の軍や情報機関は、
存在意義を議会から問われることになりました。
 そこで、情報機関は、
産業分析や貿易問題という「新しい分野」に、
活路を求めるようになったと聞いたことがあります。
 そういうわけで、「経済戦争」となると、
軍事的には同盟国であっても、
経済的には「競争相手」や「仮想敵国」となりうるかもしれません。
 さて、最近になって、ソ連に代わって、
中国の台頭という「新しい冷戦」になりつつあるかもしれません。

軍事的合理性 2013 2 3

書名 尖閣を守れない自衛隊
著者 北村 淳  宝島社新書

 最近、本や週刊誌、あるいは月刊誌で、
「東シナ海で、日本と中国が戦えば」という特集が増えました。
 しかし、これは、「軍事的合理性」を無視した議論です。
仮に、東シナ海で、日本の自衛隊と中国軍が戦えば、
中国軍に大きな被害が出るはずです。
 中国の軍事指導者が、
このような損失の大きい戦いを考えることはないでしょう。
 「軍事的合理性」で考えれば、
中国内陸部から、20発から30発の弾道ミサイルを発射する。
(念のため、数百発の巡航ミサイルも発射するでしょう)
これで、中国の圧勝となるでしょう。
 わざわざ、核ミサイルを使う必要はありません。
通常型の弾道ミサイルで十分です。
 もちろん、実際に弾道ミサイルを打ち込んだら、
日本の価値が失われてしまうので、
「弾道ミサイルを打ち込むぞ」と恫喝するでしょう。
それは、なるべく日本を無傷のまま手に入れたいからです。
 ただし、こうした恫喝が通用しない可能性があります。
日本には、「何もしなくても平和が永久に続く」と考える、
「空想的平和主義者」が、かなり多いからです。
 こうした恫喝が、空想的平和主義者に対して理解されないと、
軍事的合理性は、空振りに終わってしまいます。
 そこで、このような恫喝が本物であると、
空想的平和主義者に理解させるために、
中国軍は、宮古島を占領するでしょう。
 多くの日本人は、「そんな馬鹿な」と思うでしょうが、
宮古島ならば、軍事的には、簡単に占領できます。
そして、自衛隊には、占領された島を奪還する装備がありません。
 仮に、そのような装備をあわてて購入したところで、
訓練しなければ、使いこなせないでしょう。
結局、占領が長く続くかもしれません。
 「アメリカ軍は、なぜ助けてくれないか」と思いましたか。
それは、一体全体、どこのアメリカ軍でしょうか。
反米で固まった沖縄県に属する宮古島を取り返すのは、どこのアメリカ軍でしょうか。
占領された島を取り返すのは、海兵隊の担当です。
 さて、中国は、日本を無傷のまま手に入れて、
最終的には、何がしたいのか。
それは、「アメリカ打倒」です。
 世界史において、中国が世界の中心だった時代は、多いのです。
むしろ、今の中国が、不自然な状態です。
 「そんな大昔のことを持ち出しても困る」と思ったでしょうか。
しかし、それは、そんな大昔ではありません。
何もモンゴル帝国まで遡る必要ありません。
 清朝の乾隆帝の時代は、中国は、唯一の超大国だったのです。
その後の歴史は、工業力と科学技術を発展させた欧米の「歴史」となりました。

乾隆帝の時代 2013 8 4
 中国は、清の乾隆帝の時代、唯一の超大国だったのです。
10回に及んだ外征の結果、清の版図(領土)は、最大規模に広がったのです。
 乾隆帝の時代が、清の絶頂期であると同時に、
世界においても、唯一の超大国でもあったのです。
 しかし、清帝国の最後が、どうなったかは、
誰でも知っているでしょう。
 欧州各国は、次々と産業革命の時代を迎え、
多くの国が、「欧州の列強」と呼ばれるようになったのです。
 歴史に「if」はありません。
しかし、乾隆帝の時代に、版図の拡大ではなく、
産業革命を目指していたら、
全く違う未来が中国に訪れていたでしょう。
 産業革命とは、ウィキペディアによれば、
工場制機械工業の導入による産業の変革と、
それに伴う社会構造の変革のことであるとあります。
 向晩意不適
 駆車登古原
 夕陽無限好
 只是近黄昏  楽遊原 李商隠
 (日本語訳)
 夕暮れ時、心が落ち着かなくなり、
 車を走らせ、丘の上に登る。
 丘の上から見る夕陽は、限りなく美しい。
 しかし、この夕陽は終わりに近く、消えていく。

アヘン戦争 2004 4 17
 1840年から始まった「アヘン戦争」の歴史的背景を点検しましょう。
これは、イギリスと中国(清)の貿易問題が、原因です。
 当時、イギリスは、中国の茶を輸入し、
その代金を、銀で支払っていました。
 しかし、茶の輸入量が増加すると、
銀による支払いも増加し、イギリスは苦しい立場となりました。
 そこで、イギリスは、インドで、アヘンを製造させ、
そのアヘンを、茶の購入代金としたのです。
つまり、「銀での支払い」を、「アヘンでの支払い」に変えたのです。
 これにより、中国社会は、アヘン吸飲というものが、
社会全体に広がり、大きな社会問題となりました。
当時の中国政府は、アヘンを禁止しました。
 しかし、当時のイギリスにとっては、
アヘンが、重要な「貿易通貨」となっていましたので、
このアヘン禁止は、大きな痛手だったのです。
 こうして、これが、アヘン戦争へと発展していくのです。
この戦争は、「自由貿易の実現」という大義名分がありましたが、
現実は、アヘンという麻薬ビジネスが生み出す、
巨額の利益を確保するための戦争だったのです。
 そのため、この戦争は、イギリス国内では、「不正義の戦争」と呼ばれました。
イギリス国内でも、こうした戦争に対して、強い反対論があったのです。
しかし、資本家や大商人の強い意向により、この戦争は断行されたのです。
 アヘン戦争で負けた中国は、
外国勢力への抵抗と、伝統社会からの脱皮という苦難の道を歩くことになり、
あまりに大きな「痛み」となりましたが、
これが、中国近代化の出発点にもなりました。



































































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